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円満な結婚生活には、精神的ポリアモリーが必要かもしれない。
20代の離婚白書

円満な結婚生活には、精神的ポリアモリーが必要かもしれない。

■愛情から“執着”に変化した2人の10年、離婚で閉幕

彼に大きな事件が起こり、それによって彼は人生を奪われ多くのものを失ったけど、私は彼のそばにいた。それが原因で3年半遠距離になったり、彼が他の女性によそ見をしたり、本当に嘘みたいな人生を送ってきたけど、それでも私は彼のそばにいた。紆余曲折あったけど、連れ添って10年。10代だった私はさまざまな局面を彼と乗り越え、彼と結婚して、やがて20代最後の歳を迎え、そして彼と離婚した。

人は相手に捧げた時間が長いほど、そして、その捧げた時間に“若さ”という付加価値を伴うほど、その関係に“執着”してしまう生き物なのだと思う。もれなく私も、彼の“情”に変化してしまったかつての“愛情”にすがったけど、30歳を目前にして私たちは終わった。

この連載は、私が20代で経験した結婚・離婚を糧にするための備忘録です。まだ結婚の予定はないけど、いつか結婚したいと思っている同世代の女性にも読んでもらえたら、と思い筆をとっています。

連載4回目となる今回は、「“精神的ポリアモリー(=複数恋愛)”が執着しない男女関係を育む」ことについて話したいと思います。

執着は健全な精神を蝕み、自分の世界を狭めます。だからいっそ、相手を手放してあげることが大事だと思うんです。私は離婚によって“執着”から解放されました。その解放する手段のひとつに、精神的ポリアモリーがある、そう感じています。

■パートナー以外の魅力的な異性の重要性。

私は結婚している間、他の誰かに心が揺れ動いたことはありません。でもそれは、環境的に男性との接点がほとんどなかったから。だから元旦那に対して「私にはこの人しかいない」と思い込んでいた。結婚ってそういうバイアスがかかっているから成立するものです。

満たされない結婚生活の寂しさを仕事で埋めようとしていたけど、もし、男性との接点が多かったら、どうなっていたかはわかりません。もしかしたら別の誰かと道徳から外れた恋をしていたかもしれません。それくらいに、女性として求められたい気持ち、人として必要とされたい気持ちが強かった。離婚前の数ヶ月、私は返事のない背中をただただ見つめることしかできなかったから。

元旦那さんはどうでしょう。一度だけグレーなことはありました。でも、証拠が残っていない限り、何があったかを確かめることはできません。重要なのは真実を知ることではなく、「自分は何を信じたいのか」「どうしたいのか」ということ。

でもここで、パートナー以外の魅力的な男性との接点がないと、それを適切に判断することができなくなります。なぜなら「私にはこの人しかいない」という執着によって、判断するまでもなく許してしまうからです。特に私のようにパートナーと一緒にいた期間が長いほど、あるいは、30歳前後の結婚適齢期の女性ほど、余計にそう思い込んでしまう。それが不幸な選択だとわかっていながらも。

私にはこの人しかいないって思えることは素敵なことです。だけどそれは、「あんなに誠実な男性や、こんなに優しい男性がいるのに、それでも私はやっぱりこの人しかいない」という数ある選択肢の上でそう思えていることが重要なのだと私は思います。

精神的ポリアモリーっていうと大げさに聞こえてしまいますが、パートナー以外の誰かに好意を持てる余剰があると、執着することもありません。ヘビー級の愛をパートナーに押し付けたり求めたりすることもなくなります。そうすれば、客観的に関係性を見つめ直せる。

愚直に愛し抜くことも美しいですが、パートナーしかいないという思い込みで自分の可能性や選択肢を狭めていないか、振り返ることも大事です。限られた選択肢に合わせて生きてしまうと、自分らしさが置いてきぼりになります。一度しかない人生、自分の意思で選び取りたいもの。

■結婚は幸福を保証してくれない。幸福はどこにある?

結婚は幸福を保証する制度ではありません。結婚生活は安息の地とは限りません。私も結婚当初は1人の人を愛し抜けると信じて疑わなかったし、多分相手も同じ気持ちでした。しかし、その時はどんなに確固たるものだと信じていても、驚くほどに気持ちは波打ちながら変わっていく。愛情が増すことも、逆に空っぽになることも、別の人を好きになることも、どうにでもなり得ます。誰も予知できない。ましてや10年も経てば、お互いの歩幅が合わないとあっという間にすれ違う。行ったり来たりしながら前に進んでいく私たちは、同じところに留まることはできない。

だから、相手の「ずっとそばにいるよ」なんて類の耳障りのいい言葉は、どんなに相手が本気で言ってくれていても、瞬間的にときめきを補充する言葉にすぎなくて、未来の約束としての効力は皆無。今日どんなに愛し合っていても、明日のことなんか当事者ですら知る由もない。明日は他の誰かを好きになっているかもしれない。でも、そう思っている方がよっぽど自然で、健全なのかもしれません。むしろ、ずっと好きでいられると思い込みすぎて、執着に気づかず関係を続け、メンタルを拗らせてしまう方がよっぽど不健全。

江國香織の小説『スイートリトルライズ』にこんな一節があります。

「人は守りたいものに嘘をつくの。あるいは、守ろうとするものに」

不倫相手にはあけすけに全てを話し、夫には嘘をつく主人公。夫に本当のことを言うと、全てが終わってしまう。嘘をついてまで守りたいもとは……。私には、主人公がかつて夫と過ごした幸福な日々に執着しているのではないかと思えるんです。過ぎ去りし甘い日々を何度も噛み締めている。もう戻らない日々に足を捕らわれて。まだ好きだと思い込んで。

でもそれは生産性がないし、とても無駄なセンチメンタリズム。パートナーに費やした時間やお金や愛情、神の前で交わした誓約という物差しを捨て、純粋に「好きかどうか」を見つめたい。とはいえ1人の人を愛し続けるのはとても難しい。努力なしに成せるものではない。捨てられたらどうしよう。でも愛情を維持するために努力するっていうのもなんか違う。

私が思うに、今、あなたのことが好きだという気持ちを慈しみ、相手に精一杯伝える。それだけで十分なのかもしれない。その瞬間に、きっと幸福がある。それを続けていったら、ずっと幸福でいられるのかもしれない。

そして今、こうして淡々と考察を書けるようになったのは、少しずつ離婚の痛手が癒えているから。悲しいかな、私が女性としての自信や自己肯定感を取り戻す過程で、痛みと引き換えに、元旦那さんの存在や思い出が、遠く淡くたち消えていくのを実感しています。これも執着から解放されるための必要な作業なのでしょう。

■執着しない関係を築くには、“精神的ポリアモリー”のスタンスで。

子どもを持った知人が言っていた。「子どもを産んだら、迷いが断ち切れた。優先順位が明確に“子ども第一”なるから、この子のためにこうする、この子のためにこれはしないとか」。私は子どもがいないから、とことん迷ったし悩んだし執着した。

ずっと思っていた。パートナーが私に見向きもしないのは、きっと忙しくて余裕がないからだと。でもそれは、それは本人の口から聞いたわけじゃないから、自分の都合のいい妄想にしか過ぎない。勝手に先回りして相手の気持ちをわかった気になって、杞憂とかいらぬ妄想で疲れ果ててしまった。出口のない不安に苛まれて、自分らしく生きられなかった。

ポリアモリーになる必要はないけど、精神的ポリアモリーのスタンスでいることが、執着からの解放と、自分らしい生き方に導いてくれる。

これからはもっと自分を優先順位高くしよう。
これからは本人の言葉を聞こう。
選択肢はまだたくさん残されている。もっといろんな人に出会い、思いをめぐらせ、良い意味で「私にはこの人しかいない」と思えるような恋をしたい。

(藤田佳奈美)

藤田佳奈美
藤田佳奈美
ALICEY副編 ●フリーの編集ライター、イラストレーター●オカメインコ溺愛 #今日のペッパー●だいたいマガジンハウスにいる●だいたい隅田川で飲んでる●発言は個人の見解@yakou_chuu_
藤田佳奈美@yakou_chuu_