メディア個別 「怒らない人」を卒業してから、人生の調子が良くなりかけてる/池田園子 #卒業コラム | アリシー

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自分をスキになるって、意外とカンタン。
さよなら、平成。私も前に進むよ。
「怒らない人」を卒業してから、人生の調子が良くなりかけてる/池田園子 #卒業コラム
想いを文字にしてみる。

「怒らない人」を卒業してから、人生の調子が良くなりかけてる/池田園子 #卒業コラム

アリシーの3月特集は「想いを文字にしてみる」。3月11日の“コラムの日”にちなんで、人気作家やコラムニストなど様々な方々に“卒業”をテーマとしたコラムを依頼。DRESS編集長の池田園子さんにも寄稿いただきました。

「いつも穏やかな人、でいなくても良くない?」

あるとき自分に問いかけてみたんです。出てきた答えは「そだねー」でした。って、古いか。

嬉しい、楽しい、幸せ。その種の、人から嫌われない感情しか出さない、温和な人を「卒業」しました。代わりに、そのときどきで程度の差はあれ、怒りという感情を表現するようになりました。

他人の目は気にならない、はずだった。でも、出会う人たちに悪印象は与えたくない。できることなら、良さそうな人だなと思ってもらいたい──そんな矛盾した考えがあるのに気づいたのは数カ月前のこと。

私の卒業を後押ししてくれたのは、自分が編集担当をしている女性の著者さんです。彼女は昨年9月、「怒ること、感情を露わにする女でいよう」といった趣旨のコラムを書いてくれました。

■怒りを露わにする練習をした5カ月

今まで、とくに親しい関係の男性に対して、苛立ちやそれに近い感情を抱えても、表に出したり伝えたりすることができずにいました。

根っこには、「物わかりのいい女でいたい」「あっさりした女でいたい」というカッコつけ人間の自分がいて、「この男ムカつくなあ」と感じても、クールに振る舞って流すのが常。

でも、そのコラムを何度も読んで、「怒るに値するときは怒ろう」「毅然とした態度をとろう」と決めて、9月半ばから実行に移したのです。

たとえば、こちらを困惑させる連絡をしてくる男性や傷つける発言をする男性、強引な行動をする男性、話を聞かない身勝手な男性など、大なり小なり怒りを感じた男性に対し、然るべき対応をしました。

「ああいうメッセージは二度と送らないで。ストレスが溜まって困ってる。言ってもやめないなら、共通の知人に全部話すよ?」

「なんでそういうこと言う? いい加減にしな」

「あなた、強引だし、性急すぎるわ。無理」

「人の話聞いてないよね。そういう人とはやっていけない」

■自分を確実に守れるのは、自分だけだから

自分で自分を守るには、「いい人」でいる必要はないし、感情を適切に伝えないといけない、と実感した出来事になったのです。

怒りを表現すること、へらへら笑うんじゃなく、ときに厳しい対応をすることを習慣づけるうちに、今まで自分をいかに粗末にしてきたか、という気づきも生まれました。

たとえば、これはセクハラだとかそれを超える例になるけれど、恋愛対象ではない相手が酔っぱらい、腰に手を回してきたり、手をつないできたり、それ以上の行動に及んできたりしたとき。

昔の私は「ああ、嫌だ。気持ち悪い」と一瞬不快感をおぼえながらも、「まあこれくらいならいいか」「あとで手を洗えば済むし」とネガティブな気持ちで応じて、その場をやり過ごしていたことがあります。

振り返ると、それは怒るべきシーンでした。耐える場面なんかじゃない。「やめろっ!」と手を振りほどいたり、相手の力が強いときは突き飛ばしたりして、自分を防御したって良かった。今となってはそう思うのです。

■誰にも嘘を吐かない、楽な生き方

「一生大事にするよ」なんてセリフは古いかもしれないけれど、昔の恋愛ドラマのプロポーズシーンや結婚式シーンなんかで耳にします。でも、あの言葉には「?」という気持ちになります。

自分を一番大事にできるのは、最も身近な存在である自分だから。抱えている感情を溜め込むのではなく、適切に処理してあげないと、自分の一部がどこか故障することになる。

怒らない人をやめてから、ときに毅然とした態度で人と接するようになってから、自分の在り方や周りとの関わり方が、少しずつ変化しているのを感じます。

黒々とした怒りの感情を溜め込まなくなったし、怒りを抱えるうちに澱のようにドロドロと漂うようになるモヤモヤを持つこともなくなりました。

心も体もストレスが少なくなって、前よりも楽に生きられるようになりました。自分にも他人にも嘘を吐かずに、素直に生きる心地よさがあります。

怒りをはじめとする、負の感情は出してもいい。出すべきときは出すのが、むしろ健やかだし、人間にとって自然なこと。今身をもってそう感じるのです。

(文・写真=池田園子+アリシー編集部)