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決断しない彼の答えは決まっている。離婚へのカウントダウン。
20代の離婚白書

決断しない彼の答えは決まっている。離婚へのカウントダウン。

「ひとりになろうと思っている」

やっと話し合う気になってくれたと喜んだ私を、一瞬で地獄に突き落とす言葉。ぬか喜びほど悲しいことはない。離婚を言い渡された日、私に背中を向けて話す彼は、一体どんな顔をしていたのだろう。当時、ドラマ『カルテット』にのめり込むように感情移入していた私は、作中で夫婦だったふたりの印象的なセリフを頭の中で駆け巡らせていた。

「欲しかったものが、お互い逆さになってて……」

「愛してるけど、好きじゃない。
それが結婚」

「子をかすがいにした時が夫婦の終わる時」

どれも私の胸をえぐるには十分な言葉たち。その中でも、今になってやっと意味がわかったセリフがある。

「はっきりしない人って、はっきりしないはっきりした理由がある」

話し合いを回避する人は、何も考えていないわけじゃないし話すことがないわけでもない。実は話すことや答えはもうはっきりと決まっていて、単にそれを口に出して実現するのが怖いだけ。はっきりさせるということは、白黒つけるということで、今の状態から変化するということだから。

人は変化を楽しむようにできていない。結果的に変化を楽しめることはあっても、変化には常に不安がつきまとうし、変化で真っ先に感じるのはストレスだ。だから多くの人は、状態を変えることに戸惑うし、億劫になる。たとえ変化を望んでいても、変わることへのストレスには敵わない。

当時の私は、彼に何度も前向きな話し合いを持ちかけていたつもりでいた。一緒にいたいって言って欲しくて、真逆のことを言って試したりもした。もう苦しいのだ。息ができない。だからこの状態から抜け出したくて何度も詰め寄った。言葉に詰まる彼に何度も何度も変化するチャンスを与えていたことに気がつかずに。

「ねえ、私たちこれから一体どうするの? どうしたいの? はっきりさせてよ」

私は自ら、離婚の扉をこじ開けたのだ。

「ひとりになろうと思っている」

幸せな言葉を引き出すために話し合おうとしても、はっきりしない人を無理やり土俵に引き上げたところで、期待したセリフは手に入らない。相手ははっきりしないはっきりした理由があるのだから。

−−この連載は、私が20代で経験した結婚・離婚を糧にするための備忘録です。まだ結婚の予定はないけど、いつか結婚したいと思っている同世代の女性にも読んでもらえたら、と思い筆をとっています。

連載9回目となる今回は、「モヤモヤした関係をはっきりさせること」について話したいと思います。

■言葉を額面通りに受け取ってみる

「愛してるって言わないよね」と彼(元旦那)に言ったことがあります。彼は「愛してるって重くない? なんか怖くない?」と返してきたのですが、私にとっては軽いほうが怖い。

でも自分が望んでいる言葉が出なかった時に「ああ、そうなんだ」、もしくは「たまには愛してるって言ってね」で終わらせられるかどうかが大事だったんだなと今になって思います。

そこに「彼は私のことを愛していないということなんだな」と、持論を加えてしまうと、どんどん奈落の底へ突き落とされていきます。それは彼をも巻き込みながらずるずると。

まず、彼は「愛している」というはっきりとした愛の言葉を使わないで愛情表現をする人だという事実を受け入れる。甘ったるい言葉を使わないだけであって、イコール愛情がないと決めつけない。事実だけを見つめる。「愛していると言わない」、それ以上の意味はなくて、自ら意味を足したりしてはいけない。愛していると言われなくてモヤモヤするのは、自分が勝手に「言われていないから愛されていない」と思い込んでいるだけだから。

彼が私に触れる手つき、喧嘩してしばらくした後の対応、帰り際振り返ってくれた時の横顔、私を見つめる視線、私の名前を呼ぶ声、そういったものから愛情を受け取れていれば、そこに自分が生み出した不安を混ぜて事実を脚色しなくていいし、モヤモヤすることはないと思います。

「私のこと愛していないの?」そう聞いてしまったら、破局が笑いながらにじり寄ってくるから。

■はっきりさせることが幸福じゃない

離婚について話し合いにならなくて、言葉ではなく温もりではぐらかされたことがありました。マンションの屋上で彼に抱きしめられていた時、彼の肩越しから隣の高層マンションの屋上に展望台を見つけたんです。

私はその時とても寂しくて、見つからないようにこっそり泣いていて。一方で、どんどん輪郭がぼやけていく展望台を夢中で見ていました。

その時、無邪気に「見て、展望台があるよ!」と言えればグッドで、「抱きしめて誤魔化さないでちゃんと話してよ」と言ってしまったらバッドで。だけど私は何も言えなくて、そのままじっとしていました。

隣の高層マンションの屋上に展望台があることも、私が涙したことも、彼はきっと知らない。私はそういう、ちょっと湿っぽい記憶ばかりよく覚えています。彼の腕の中にいた時は確かに幸せだったことを差し置いて。

幸福は意図的に数えないと忘れてしまうし、忘れてしまうと不幸ばかりあるように思えてしまう。最近は友人に教えてもらった「良かったこと」を記録するノートを習慣化するようにして、幸福を可視化しています。そうすると、事実が幸福で溢れてくる。それはもうはっきりと。

はっきりしない人と向き合う上で幸せを手に入れたいのなら、相手の気持ちをはっきりさせようと働きかけるのではなく、自分の幸福をはっきりさせたほうが良いと思うんです。そのほうがうんと楽。

煮え切らない人の態度をはっきりさせようとすることは、多分エゴで。はっきりさせたくないはっきりとした理由を暴いて、誰が幸福になれるのかなという。

でも、はっきりさせたい時だってあるし、はっきりさせなきゃいけない時だって確かにあります。その時は不用意にはっきりさせようとせず、覚悟を持って暴いていく。はっきりさせたら幸福になれるわけじゃないし、私のように自ら離婚へ導いてしまうことだってあるけど、白黒つけた結果、その先が不幸だとも決まっていません。

私は離婚してからのほうが楽に息ができるようになったから。終幕は次のステージの開幕でもある。はっきりさせることがどういうことかを知った今は、ぼんやりした関係の気持ち悪さと心地よさ、どちらをとるべきかをよく理解しています。変化はいつだって怖い。けど、前に進むために壁を壊していきたい。私はいつだってはっきりさせたいのかもしれない。

(藤田佳奈美)