女とピンク、百年戦争…「モテる女が着る服」とは?

女とピンク、百年戦争…「モテる女が着る服」とは?

【未婦人公論】vol.5
大学に入学したばかりの私は、狂ったようにモテたかった。

受験に失敗し、恋愛もしたことがない自意識をこじらせたモテない女子にとって、大学生活で彼氏を作ることは至上命題だった。

新入生を迎え入れたばかりのキャンパスは、ありったけの「イケてる感」をむき出しにして、何も知らない新入生を飲み込む。ここで恋愛しないことは、罪ではないかとすら思えた。男の先輩から手渡されたサークル勧誘のビラの数だけ、恋の可能性があるように思われた。その枚数が、キャンパスにおける女の子の、価値のような気がした。

私が最初にしたことは、CanCamを読んでピンクの服を買うことだった。ピンクのニットをマルイで買うこと。それが「モテ」というゲームの盤に乗るための、必要最低条件のような気がしたからだ。

ピンクのニットに袖を通す。少しだけ、己の輪郭が、ぼやけるような気がする。

これさえ着ていれば、とりあえずはひとりの「女の子」になれるような気がした。エビちゃんみたいに、ゆるふわで、かわいくて、男の子に始終、エスコートされるような女の子。

だがしかし。

実際のところ、ピンクを着て髪を巻いた私は、「ジ・アルフィー」の高見沢にそっくりだった。

面長で顔が濃く、しっかりとした鼻付きで、くせ毛で頭の爆発しがちな女にとって、ピンクのニットはあきらかに間違った味付けだった。ラーメンにいくら砂糖を加えたところでおいしくはならない。そのことに気付かないほど、私は盲目だった。ただモテたいという欲望が、己の姿に目隠しをし、私はCamCanの奴隷になった。ピンクの丸襟のニット、パステルカラーのスカート。テンプレートな擬態でせいいっぱいの虚勢を張って、私はキャンパスに、合コンの会場に、サークルの親睦会に出没した。

しかし。
これがまっっったくモテなかったのだ。

考えてみれば当然である。私は高見沢であって、エビちゃんではない。

「似合わない女子のピンク(フューシャピンクのようなオシャレピンクではなく、虫も殺さないふんわりやわらかピンク)」は悲惨……。

そんなことにも気付かず、私はピンクを着続けた。ピンクを着る女はモテる、いやむしろ、モテる女はピンクを着るものだ。その思い込みが私を「喜んでピンクを着る女」にし続けた。

中身がピンクでない女の、擬態のピンク、媚びのピンクほど、ちぐはぐな印象を与えるものはないのに。

時は過ぎて、ちらほらと私を好きだと言う男が現れ始めてからも、私は自分に自信なんて、さっぱり持てなかった。彼らのことが信じられなかった。大人になり、彼氏ができるようになってからも、私は彼らにこう詰め寄った。

「でも、実際のところ、男はみな、ピンクを着る女が好きなんでしょう?」

しかし、私と付き合う男は一様に、ピンクのニットを着ているような女は嫌だと言うのだ。

私を好きになってくれる男は、また、私が好きになる男は、みな、ピンクを着て髪を巻いた“いかにも”な女の子を、恋愛対象にはしない男たちだったのだ。でも、私はそのことに、全く気づいていなかった。「ピンクを着る女が好きだ」と言いそうな男たちからモテることだけを、ただひたすらに考えていた。ファッション誌の座談会に登場するような、尖った靴を履いて髪を立てて、オープンテラスのカフェなんかにいるような男たち。そんなの全然好きじゃないのに、私は一体なぜ、何のために、モテようと思っていたのか。

あのころ私が選んでいたピンクは、普通の男の子には、決して恋愛対象としては見てもらえないような、自分をごまかすため、女の輪郭に無理やり合わせるための、擬態のピンクだった。「私は恋愛市場に乗ってます」という、必死のアピール。築地でバナナを売ったって、青物成果市場でマグロを売ったって、買い手がいなけりゃしょうがないのに、それなのに、あのころの私は、必死でアピールし続けていた。

「愛されるためにピンクを着ている私を、どうか愛してください」って。

たぶんあのまま行ったら、「自信のない林家ペーパー夫妻」みたいになっていたと思う。途中で気付いて本当に良かった。
ピンクのスカートに白のブラウス。そういうのは、似合う女子が着たら、本当にかわいい。今でも私は、そういういかにもなファッションの女の子と道ですれ違うたびに、うらやましくてドキドキしてしまう。自分もああいう服が似合う女になりたかったなあ、という気持ちが、少しだけ顔を出す。けれども同時に、私はピンクが全然似合わないけれど、黒い服を着ている私のことが好きだという男たちも、ピンクが好きな男たちと、同じくらいの数だけ存在する、ということも知っている。

ピンクのニットを着た時の、あの、己の輪郭がぼやけるような感じ……あの時感じた違和感を、私は大事にしなかった。それは、自分自身を大事にしないことと、一緒だったように思う。

今でもまだ、服を買う時、私は少し葛藤する。この服は、人に好きになってもらいたくて着るのか、自分が好きだから着るのか。

でも結局、私は自分の好きな服を着ている時の自分が一番好きだ。飾りのない、地味な服。黒やグレーやダークブルー。それらの色を着ている時、私は、私の輪郭が、ぴったりと自分におさまっているような気がする。あの、無理をしてピンクを着ていたころの、頑張ってレースやフリルやリボンと格闘していた時の、息の詰まるような感覚は今はなく、少しだけ、堂々と胸を張れるような気がする。

誰かに合わせる服はもちろん大事だ。でも、私は好きな異性に会う時ぐらい、彼と同じくらい「好き!」と思える服を着ていたい。

人の魅力が一番に発揮されるのって、その人が一番、気持ち良く振る舞っている瞬間だと思うから。

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